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年代別詳細

1960年

日本の高度成長がスタートした年とする昭和35年に繊維機械から、金属工作機械の増産に舵を切った機械メーカーの主要7社のオーナーから要請があり、出資を得て設立した。その契機は日本の繊維業界が機械工業に切り替えの時期にあった背景はあるが、弊社別会社において高品質な金型工場を経営して電信部品を生産していたこと、繊維機械の営業と長年にわたって技術開発に携わっていたことがこの業界にも通じることを確信して踏み込む動機となった。
 

1970年

工作機械オークマ年間販売実績1位から常に上位を占めてきた、オイルショック以降は西日本設備投資が大幅に落ち込み、既存の機械販売には危機感を感じ市場開拓に合理化装置の輸入を開始した。一年間に17回欧州に出張していた。市場も米国、アジアに拡散していった。

1961年

技術系社員は取引メーカーに出向し工作機械大隈鐵工所(オークマ㈱)をはじめ関係各社で組み立てから試運転業務を習得していった。

1965年

戦後から工業用品を納入していた東洋工業(マツダ㈱)より自動車部品量産ラインを受注委託を受け汎用自動機械を工程順に結びライン化に成功した。専門メーカーの協力を得て初期の搬送ロボットを設置した。後にロータリーエンジン加工に応用した。

1973年

オークマ㈱大隈武雄社長の後援もあり京都セラミック(京セラ㈱)稲盛和夫社長の要望により工作機械に使用する切削工具の業務提携及び新製品開発に尽力する。
弊社はオークマ製品の試運転業務に携わっていた関係から切削工具の開発に参画し新製品を現場に納めテストを重ね部品加工に役立てた。
当時、マツダはフォードへ「ピックアップ・クーリエ」を輸出しており、コストダウンに熱心だった山崎常務取締役生産技術本部長のバックアップが大きく徐々に切削工具の成功をおさめていった。採算が軌道に乗るまで10年の歳月を費やした。

1977年

マツダ・デザインセンター本部よりモデル創作用機器類の改善を要請され既納されていた米国系レイアウトマシンからの脱却を図り新開発に乗り出す。新車モデルの創作用に画期的なモデルマシンを完成し要望に対応した。

1980年

国内景気に左右されない海外市場を求めて輸出をはじめる。客先とはすべて直貿易である世界初のレイアウトメジャリングシステムの完成が海外でも受け創作時間の大幅な短縮に貢献した。
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